やまのこ保育園

惑星のようす

"事務室からみえる惑星の風景"

2022.06.19
事務室からみえる惑星の風景

Text : Miho Masakuni

 

やまのこ保育園にジョインしてから半年が過ぎました。普段はやまのこhome(以下home と略)の事務室にいて保育園運営に関わる事務タスクをあれこれと行うために、ノートパソコンに向かう時間が大半です。そのような中でも、やまのこ保育園の保育理念をもとに、子どもたちと応答的に関ろうと日々尽力する保育現場を屋台骨から支える保育園バックオフィスの意義を、オフィスメンバーのひとりとして最近ますます肌身に感じるようになりまし た。  

短い時間であれば、保育のサポートに入って子どもたちと関わりあったり、触れ合ったりすることもあります。そんな時はいつも、「子どもたちから、やまのこの大人たちはどんなふうに見えているのだろう?」と想像します。今回は事務室から見る、やまのこ保育園の大人 たちについて思うことを書いてみたいと思います。  

 

ジョインしたての私からは、やまのこの大人たちがほとんどがなんらかの「規則正しさ」を 身に纏っているように見えました。それも一様な規則性ではなく、それぞれの大人がそれぞれの中に、秩序だったものを保持している、という印象です。それはある人にとってはごくシンプルに生活習慣の規則正しさだったり、人とのコミュニケーションの間合いの取り方だったり、植物や動物に相対する作法だったりします。またある人にとっては、ものの扱い方や手入れだったり、子どもたちに対するラインの引き方だったりします。それぞれの大人によって保持している「規則正しさ」の種類にバリエーションやグラデーションはあって も、やまのこの大人のそれを総体的に見てみた時に、とても居心地の良い、やさしさを湛えた規則性であると感じられるのです。規則というとルールや、何かこう堅苦しいイメージが 湧きますが、やまのこの大人に当てはめて言えば、それは揺るぎなさ、というものに近い気がします。ちょっと大きなことを言うとすれば、多様性を併せ呑んだ上で、それでもそこに一貫したひとつの生命体が存在している、という趣きです。  

私が普段過ごしているhomeには0歳から2歳のよりちいさい人が暮らしていて、まだ胎内の記憶すら新しいその人たちは、生まれた後の世界を探究するスタート地点に立ったばかりです。ましてや、保育園という大勢が共同生活を営む環境においては、彼らにとってはほとんどがカオスと言える状態であり、その中に何かしら揺るぎないものを発見していくことが、 安心や居心地の良さにつながっていきます。 

生まれてからごく初期のちいさい人たちの暮らしに居合わせるという存在の意味から、特にhomeの大人たちの佇まいが揺るぎなさを帯びたものに変化していったのでしょうか。それとも、元来ちいさい人の発達やくらし方の機微に対して、どんなにちいさなものでも察知して発見・応答し、柔軟さを湛えたままに揺るぎなさを表現できる性質の人がやまのこのコミュニティに加わった、ということなのでしょうか。今の所私には判断がつきません。  

しかし、保育士だからとか、長年幼児教育に携わってきたからとか、そういう一般化した説明では収まりきらないものを、やまのこの大人たちはひとりひとりの内部に持っているように見えます。日々子どもたちと関わる中で、やまのこの大人たちは「規則性」と、それとは一見矛盾するかのような「多様性」をも同時に成立させているかのように見えるのです。  

前にも述べたとおり、やまのこの大人たち一人ひとりの持つ規則性は一様ではなく、規則性の中に多彩さが見られます。規則性に多くのバリエーションがあるという背景には、それぞれの大人たちが様々なバックグラウンドを持ち、それぞれに違った経験、価値観や表現を持ちながら、それでもやまのこの保育理念のもとにひとつのコミュニティを構築しようという強い意思があると感じています。一人ひとりの大人がバリエーションに富んだ規則性を持ち寄ることで、総体としてのやまのこも多様性を確保している、と感じます。  

 

このことを子どもたちの視点で見てみるとすれば、彼らがやまのこの大人たちの多様な規則性に日々出会いながら時を積み重ねて行くことは、とても居心地がよく、彼らの多様性はそのままに、彼ら自身が未来やコミュニティをつくっていくことと地続きなのではないかとい うことです。このことはまた、ひとりの保護者としての私自身の願いでもあります。  

未来は単に、日々の繰り返しの延長線上にしかないとすれば、その日1日の尊さは自ずと思い知らされます。やまのこにジョインしてからというもの、すでに齢40を目前にした大の大人である私が、周りの大人たちから日々刺激を受け、自分と向き合い、より自然体でよりよ い自分でありたいと素直に思って暮らしています。子どもたちの吸収力は私の比ではないでしょう。大人も環境の一部と考えれば、やまのこ保育園で過ごす子どもたちの「日常」と「未来」はどんなに豊かだろうと、事務室の透明な戸から見える子どもたちの姿を見て、そんなことを考えています。

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