2020.02.21
やまのこの「動力源」を考える
Text : Aya Endo
もう2月も中盤。やまのこでは長い冬に備える気持ちで、11月に各部屋に飾ったヒヤシンスも満開となり、甘い香りとともに春の訪れはもうすぐだと伝えてくれています。先日、早くも蕗の薹が顔を出しているのを発見しました。いつもと違う2月に地球の異変を感じます。
さて、みなさんは「人新世」という言葉を聞かれたことはあるでしょうか。私は気になりつつ通り過ぎていたのですが、先日「人新世」について特集されている雑誌を読んではじめてやっとこの言葉とその周辺の問題系を知りつつあるところです。「人新世」とは、最終氷河期が終わった1万7000年前に始まった完新世が終わり、人類の活動が地球のさまざまなシステムを変え、それが地層に変化を与え始めているという見方を提示したもので、現在新たな地質年代についての議論が進んでいます。「人新世」以外にも「植民新世」「資本新世」という言葉も、新たな地質年代を表すものとして提案されており、言葉の善し悪しは別として、こうした議論が盛んになっているということ自体が、いまこの時代がいかに地球規模での境界的出来事の最中にあるのかを示しているように思います。雑誌(現代思想 特集「人新世」)へ寄稿文の中で、生命誌家の中村桂子さんの言葉をご紹介したいと思います。
「宇宙創生から138億年、太陽系が生まれて46億年、その中の一つの星である地球に生き物が生まれてから38億年、その中でホモ・サピエンスが生まれたのが20万年という歴史が見えてきている。その中で賢く生きるとはどういうことだろうと考えることができるようになった今、私たちにできるのは、文明を持ち始めてからの1万年を振り返りながら、これからの生き方を探ることだろう。(中略)たかだかこの50年で積み上げた現代文明と、宇宙に始まり生きものの中に組み込まれた生きる力のどちらが優れているかと問えば、後者だろう。複雑さの中に豊かさを持つさまざまなしくみを見るだけでも、それはわかる。」
続けて中村さんは、「人間がつくりあげる文明の中で生きる私と38億年の生命の歴史の中にいるヒトとしての私を重ね合わせた世界観」を持ちながら、その世界観からさまざまなことを判断していくことを提案されています。この中村さんの言葉に私は、やまのこの願いである「地球に生きているという感受性を持った人」のイメージを馳せました。そして、私たちがここで子どもたちと共に暮らしをつくろうとしていることの意味についても。私たちがいまこの大きな時代の境界にありながら教育に携わることで、また子どもたちと1日の大半の時間を共に過ごす中でつくっていきたいのは、これからの生き方なのかもしれない。そんなことを考えました。
やまのこを動かしているものは?
1月11日に年間計画をたてる1日かけての話し合いを行いました。
その中で最初にみんなで考えたのは「私たちの動力源ってなに?」という問いでした。一人ひとりを動かしているもの、その熱源となっているものが何かということを考えることと、やまのこという場が何によって動かされているのかということは繋がっていきます。
いろんなメタファーがとりあげられました。例えば、樹木・コマ・自転車・家・大きなスコップで穴をほっているイメージ・細胞。言語で整理する人、絵や色や線で表現する人、絵と言葉をあわせる人、表現方法もそれぞれですが、踊ったり、演じたり、音楽で表現する人はいませんでした(いつか出てくるといいなと思っているのですが)。
子どもたちを待ち受けている世界の不確かさや不安定さ、そうしたわからなさへの恐れが動力源だという人も。その恐れを少しでも明るいものに変えていくということが私を動かしている、と。みんな深く頷きながら聴いていました。
その他にもこんな動力源が語られました。
「生きていること/生かされていることの実感」
「創り出すことそのもの」
「わからないこととの出会い」
「変化すること」
「日常の中にある幸せな瞬間」
「満たしあっている感覚」
それぞれの動力源とそこに行き着いた理由をじっくり聴きあいながら、自然とわたしの動力源からやまのこの動力源へと話が移っていきました。
そこでクローズアップされていったのが、「変容=transform」という言葉。
関わりあいながら、満たしあいながら、学びあいながら、わたしもやまのこも変容(=transform)していく。それがここで起きていることであり、そしてその動きそのものが、わたしたちの動力源なんじゃないか。
そんなことが見えてきた貴重な時間でした。来年度は、関わりあう力、満たしあう力、学びあう力をさらに高めていく方向へと運営の仕組みも含めて、意識を向けていきます。それがわたしたちを自然とアップデートさせていくはずだと信じて。