やまのこ保育園

惑星のようす

"「人のはじまり」に出会う"

2020.10.01
「人のはじまり」に出会う

Text : Neina Asano

4月からのコロナによる登園自粛の期間を経て、6月頃からクラス・担任の枠を超えた混ざり合う日々を過ごす中で起こった、私自身の子ども観の変化について書きたいと思います。

 

私の子ども観の大きな変化は今までの人生のなかで二度あります。一度目変化が起きたのはは私がまだ大学生の頃の話。大学の授業で、保育園や幼稚園の先生が来校し、講義をしてくださった際にその先生が子どもたちのことを”彼ら”や”その人たち”と呼ぶことがありました。今となってはその呼び方に違和感も戸惑いもありませんが、当時、子どもとは大人が守ってあげる存在で、自分とは異なる存在だと捉えていた私にとって、子どもを “子ども”と言わず、大人と対等な関係を結ぶものとして”彼ら”という呼び方が使われることに違和感を感じていました。

しかし、その後やまのこ保育園で子どもたちと生活する中で、その感覚は変わっていきました。私が子どもたちに何かを手渡すのと同じように、子どもたちも私に何かを教えてくれたり、気づかせてくれたりします。私と同じようにここで生活している仲間なのだと気づいてからは、自分と対等な関係を表す”彼ら””その人たち”という呼称を聞いても違和感はなくなりました。これが私の一度目の子ども観の変化でした。

そして、コロナ禍の中で起こった0歳児と1,2才児の混ざり合いの日々の中で、主に0歳児との関わりが変化し、二度目の子ども観の変化が起こりました。
4月以前は、降園前のわずかな時間くらいしか関わりがなかった0歳児。しかし、混ざり合っていた期間、0歳児と関わることは多くなり、共に生活している中で、”探索する姿”を目の当たりにしてきました。

ここで一つ、エピソードを紹介したいと思います。
ある日の午後、早めに目が覚めた、R君がゴロンと横になり、おもちゃを触ったり手足をバタつかせたりしていました。すると不意に手と足がぶつかり、R君は足を手で掴みます。そのまま足をじーっと見つめるR君。
その姿を見た保育者Sさんは「あ、足を見つけたね〜」と声をかけました。
手足を動かす中で自分の足と出会ったR君。見て、触って、口に入れ、匂いを嗅ぐ。まさに五感を使って確かめ、この世界と出会っています。

0歳児のみならず、今を生きている子どもたちにとって、見るもの・聞くもの・触れるものは全て新しい出会いなのではないでしょうか。同じように見える風景でも、毎日少しずつ変化している、そのことを子どもたちは敏感にキャッチしているなあと感じることが多々あります。
それは、0歳児と過ごす時間が増え、私自身が子どもたちを観察することに少しずつ慣れてきたからなのではないかと振り返っています。

先日のミーティングで、園長のTさんが0歳児のことを”人のはじまり”という言葉で表現したのを聞いた時、心にすとんと落ちてくる感覚を味わいました。そのような視点で0歳児を見たことは今までなかったものの、自分が目の当たりにしていた、日々探索しこの世界と出会う0歳児の光景と繋がり理解されました。自分とは異なる”赤ちゃん”という存在から、人生という軸で見たときに、自分と同じラインに立つ存在へと変化した瞬間でした。

大人が庇護しないといけない「子ども」から、自分と対等な「仲間」へ。
「赤ちゃん」から「わたしと同じ人」へ。
やまのこ保育園で働き始めて1年半、子どもの捉え方が自分の中で大きく変化してきています。

homeには9月から新たに6ヶ月の子が仲間に加わりました。0歳児と1、2歳児。生活リズムが違うため、混ざり合っていた日々から変化し、ふき・わらびと別れて過ごす時間が増えました。しかし、3月以前とは違う生活です。混ざり合いを通して生まれた出会いや発見。それを引き続き生活の中に織り交ぜながら、homeで新たな生活のあり方を模索していきます。

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