やまのこ保育園

惑星のようす

"子どもたちの反乱と自由"

2021.03.01
子どもたちの反乱と自由

Text : Aya Endo

立春を過ぎてしばらく経った2021年2月9日、あけび組の子どもたちによる反乱が起きました。事の発端は、その日少し低調ぎみの様子だった年長のSくんが園庭でつくっていた氷を他の子が間違って割ってしまうというアクシデントが発生したことから。氷が割れたことに怒った様子で室内に戻ってきたSくん。「こんな保育園やだ!もうやめてやる!」と穏やかでありません。周りの子どもたちが、Sくんの様子に感化され集まってきます。「大人は部屋におやつがあってずるい!」「Aさんが事務室でおせんべい食べてるの見た!ずるい!」「お昼寝なんかしたくない!」「キムチチャーハンがごはんにでない!」と不満を言い合っています。その上、大人のすきをみて事務室を襲い落花生を奪うという事件も発生。Tくんは「やまのこをぶっこわしてやる!」と大変な盛り上がりです。

 

次に子どもたちはお昼寝用のシーツや掛ふとん、着替えを詰めて、はちきれんばかりに膨らませたリュックを背負いエントランスに集まりました。メンバーは年長のSくん、Jくん、Aちゃん、Hくん、年中のKちゃん、Kちゃん、Rくん、年少のEくんの8人です。さながら家出(園出?)の様相。みんな意気揚々とした表情です。一緒にやまのこを出ようと門扉の前まで来たとき、くねくね山から帰ってきたSさんと鉢合わせしました。「もうやまのこを卒業してやる!」と息巻く子どもたちに「みんながいなくなったら困るなぁ」とSさんが話すと、意外にもあっさり部屋にもどってきました。けれど、リュックを置いてからも興奮冷めやらぬ様子。「今日おうちにかえったら、あしたからもうずっとこないから!」とEくん。その後、お昼ごはんを食べてお昼寝の時間になりましたが、Kちゃん、Kちゃん、Eくんの3人は年長さんと一緒に外に出ると主張しています。どうも一緒にSORAIに行きたいようです。反乱に加わっていなかった年長さんも巻き込まれながら、Tくんと一緒にエントランスで話しあいがはじまりました。

 

「Kちゃんたちの分はSORAIの入場料払ってないね。お金どうしよう」「Kちゃんは会員だよ」「おかあさんに頼んでお金もってきたら入れるかな」「でも、明日はSORAIお休みだよ」「うーん、どうしたらいいんだろう…」と真剣に考えています。20分程経過したとき、SORAIに早く行きたい年長の男の子たちがしびれを切らして「年長以外は行けないよ。もう部屋に戻って」と声をかけました。一方で年長の女の子たちはずっと寄り添いながら考え続けています。そんなふうに30分程ああでもないこうでもないと話し合った結果、Kちゃん、Kちゃん、Eくんと年長のAちゃんの4名が保育園に留まることになり、納得の足取りと残念そうな表情を浮かべながら静かに部屋に戻ってきました。

Sくんの「もうやめてやる!」の一声からはじまった子どもたちの反乱。私は内心「いいぞいいぞ!」と思いながらみていました。

きっと大人はみんな同じようにわくわくしていたはずです。こんなふうに一緒に怒ることができるってすごいことです。自分の所属するコミュニティに対して否定的な感情を伝えられるということは、周りがそれを受け止めてくれるという安心感を持てているからであり、想いを伝えれば何かが変わるかもしれないと思えている、ということなのではないかと受け止めました。そして、自分たちで話し合って最良の解を見つけられるという、自分への信頼、仲間への信頼もまた育ってきているのではないかと思いました。年長さんを中心に子どもたちの中にむくむくと湧き上がる力はめざましく、やまのこをつくってよかったなぁと感慨深く感じています。

今回、子どもたちが伝えてくれた不満は確かにもっともなこともあり、いまあるやまのこの枠組みをもう一度新しい目で見直すことが必要だと思います。集団生活の中の自由は私たちがずっと考え続けてきたテーマで、「自由」と「制限」の狭間で常に揺れてきました。社会や環境など外的なものから自由であり続けるということは不可能です。しかしながら、予め不自由であることを前提にその社会に適応させるために、その子の可能性を小さくしていくことに加担したくありません。

 

どんな不自由な状況下においても精神の自由を持つことができれば、真に自由になれるのではないでしょうか。そうした力が育っていく礎をやまのこの日々の中で築けるといいなと願います。

 

最後に私が20代の頃に出会ってから時折読み返している、小児科医の松田道雄さんの著書「自由を子どもに」(岩波新書、1973年刊)から一文ご紹介させてください。

 「教育をする人は自分にたいして疑いをもっています。教育はすでにできあがっている今日の文化を足場にして子どもにおしえるものです。20年も30年もたてば、子どもたちは今の文化とちがったものをつくるでしょう。今の文化のわるいところを改めてくれるにちがいありません。教育としておしえたことの一部は、否定されるでしょう。また、それができるような子どもをそだてねばなりません。教育は教育を否定するものをそだてるという矛盾をもっています。この矛盾を意識することが自分を疑うということです。

 子どもが将来、今の文化を否定してあたらしい文化をつくるには、子どものなかに創意をそだてなければなりません。教育する人は、今の状況のなかで、子どもはどういう形で創意をみせるだろうかということを、たえず注意します。そのためには子どものめいめいにもっているものを大事にしなければなりません。子どもが個性をみせてくれるのは、自由があるときだけです。」

RELATED

BACK TO TOP