2021.05.01
home 日々の散歩
Text : Naomi Ida
やまのこhomeの暮らしにとって欠かせないものは「おさんぽ」だと実感した1年。太陽や土、水、草、花などを仲間だと感じること、日々移ろいゆく季節を子どもたちと一緒に感じること。
やまのこの保育者になって1年。今の私にとって「おさんぽ」は気持ちが良く、心地が良く、幸福感いっぱいになる時間であり、また、これまでの他園での保育経験を振り返る時間でもあります。年間行事に追われる一斉保育では、四季の美しさを子どもたちと感じながら存分に自然の中で遊ぶことができていなかったのでは。お日様に誘われ「今日はどこに行こうか?」と和やかに相談をして出かける日もあれば、ころころと変化する庄内特有の天候を楽しむように、そして時に厳しさも体感しながら大冒険に繰り出す日も。やまのこのおさんぽは、一見すると「雨にも風にも雪の寒さにも負けず・・」に見えるものですが、それだけではないことを私に感じさせるもので、エピソードを共有します。
真冬の砂利道コースで遊んでいた、Sちゃん。突然の強風にあおられ「うわぁ~ん」と泣き出します。それを見守っていた寧菜さんが、Sちゃんの手を取り、風と仲良しになるかのように一緒に走り出しました。泣きっ面だったのが数秒後には「あはは!」と満面の笑みに変わります。Sちゃんが北風と友達になったような瞬間。さっきまでのSちゃんはどこへやら。
SEくんは、冷たい風が吹くたびに体感温度を感じ「いたい、いたい」と言って抱っこを求めます。抱っこしつつも風がやんだので「SEくん歩けるかな?」と声をかけると、また自分の足で歩きだします。冬道散歩を何度も重ねるうち「いたい」と言わなくなり、「なおみさん、だっこ」も言いません。日に日に、心も体も育っていくSEくんの姿に驚きでした。
真冬の散歩の帰り道は、大人でも心がくじけそうになるとても冷たい風が吹いてきます。遊び疲れお腹も空いてくる頃、1-2歳児の小さな人たちは「ママ~」と涙がぽろぽろとこぼれ落ちながら、時には立ち止まりながら、それでも一歩一歩雪道を進みます。home玄関の扉を開け中に入ると、あたたかな空気・ほかほかのやまのこごはんのいい匂い。ほっと安堵し、またもや「うわぁーん」とほどける人たちも続出。その様子に「おかえりー、頑張ったね~、まさに地球に生きているという感受性を持った人だね」と、朋子さんが笑顔で子どもたちを受け入れてくれます。その後は、足湯で身体を芯から温め、美味しいごはんでにこにこ顔にみるみるうちに戻ります。私自身、やまのこ保育園の願い(保育目標)そのものだと感じられるような子どもたちの姿を目の当たりにした忘れられない光景です。
自然の中で成長していく。過酷さに泣きながらも自然を感じながら進み、安心できるところにたどりつく。寒さを知って、暖かさを知って、を繰り返す中で感じながら学んでいっているのだと思います。これまでの保育経験では「雨降ってるから今日は何しよう?折り紙する?」と室内遊びを展開したり、寒いから中に入ろう、泣いたら帰る、という意識で、これほど「1年中外にいた」と感じた保育は自分の中で初めてです。室内では大人が考える活動が多かった気がしますが、屋外(散歩)は子どもが解き放たれ、のびのびしているように思えます。大人が用意するよりも、子ども自身が見つけて、気づいて、外の世界、自然のものと仲間になっている姿。水たまりのばしゃばしゃ、どろどろとした感覚的なあそびが存分にできるのも外ならではですし、子どもたちのアンテナがそういうところに向かっているときに面白いなと感じます。
また、「みずたまり、うえに行ったんじゃない?きょうはおひさまあるから」「みずたまり、くねくねやまにはないよねー」などの子どもたちの声は、1年を通して継続しているからこそ、フィールドや自然とつながってからこその発言だと感じます。天候や四季が変わり、出会うものが日々変わっていきますが、それらが子どもたちの中では全てつながっているようです。
同じ冬でも、凍てつくような厳しい寒さだけではなく、きらきらとした白銀の世界の美しさ、大好きな遊び場での雪遊び、散歩道にできていた氷の輝き。冬だからこその醍醐味を子どもたちとしっかりと感じた、やまのこの冬。そして、最近は、太陽の暖かさに心が躍りだし、色とりどりの花が咲き誇り、小さな生き物たちとの再会を楽しむ、やまのこの春。
ふき組は、すべりだい公園やくねくね山に到着すると、はいはいで移動する人、あちらこちらへと歩行をたのしむ人、お座りをしてまわりをよく観察する人。春の日差しを浴び暖かな空気や風を感じ、草や花に触れ、遊びに満ちています。わらび組では、雪解けした日本国公園へ久しぶりに向かうと、田んぼのあぜ道を歩き「いい道だね~」、鳥海山を眺め「いい景色だね~」と、Tちゃん。歩きながら必ずタンポポやヒメオドリコソウを手に取り「マミーにおみやげ」と握りしめて歩くZくん。くねくね山で木の根本に潜むダンゴ虫に会いたくて木の枝で探しながら「はるですよ~」と呼びかけるSちゃん。
季節の変化を確実に感じ取り、今を楽しむ子どもたちの姿や声に、そんなふうに見えるんだ!そう感じるのか!と、自分には見えなかった感受性に出会い、面白いな、すごいなと感動しています。子どもたちの何気ない日常の行動や言動のなかには大人の予想をはるかに超えた素晴らしい学びがあることを常に念頭に置き、今ここにある一瞬一瞬の子どもたちの姿を受け止められる自分でありたいです。1年を通じ自然の姿も日々違いますが、子どもの姿もほんの一瞬前と違う、ということを感じる毎日です。
そして、自分自身も少し変わってきています。子どもたちがどんなことがしたいのか観察して待ってみること、出来るだけ静止しないということ。長靴の中にたっぷり水を入れてぐっちょぐっちょに歩いて帰ってくる等、大人が「なんで?」と思うことを思いっきり楽しでいる姿。その子の好きなことを、大人の判断でやめさせることが少なくなった自分がいます。命の危険がなければ、ある程度の冒険、好きなことに熱中する姿を「これどうなるんだろう?」と一緒に見守りたいと思うようになりました。もちろん見極めが難しく、これでよかったのかなと悩むことの連続ですが、子どもたちの好きなものへの関心を大切にしたいと思った1年でした。
触れなければ過ぎていくことに、子どもたちと一緒に触れていくこと。散歩のように、シンプルに保育の中に自然や暮らしの変化がある状態をつくっていくこと。そんな暮らしや自然の変化を楽しむ保育をしていきたい。保護者の方々が朝「がんばってね」という見送る姿に、家族から離れ頑張る場所でもあるのだろうと思いながらも、子どもたちにとってここが安心できる場となるよう、自然と同様、1日として同じ日はない子どもたち一人ひとりの今をまるっと受け止め、それが安心感につながるよう、そういう存在としてありたいと願っています。
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