2021.07.30
七夕とやまのこの保育目標をめぐって
葉っぱの水滴から雨水を集め、それで墨をすり、その墨で描き、これらの行為全体を「祈り」として捉える、2019年からのやまのこの七夕スタイル。保育者の朝子さん、優樹さん、朋子さんの3人で今年の七夕を振り返りました。
Text : Tomoko Nagao
振り返りの対話の中で面白かったのは「七夕を今年もやりたいと思ったのは、直感的に、七夕はやまのこの保育目標と繋がったもの、それを確認できるもののような気がしたから」という朝子さんの発言をきっかけに、七夕とやまのこの保育目標をめぐる話が始まったことです。
朝子:やまのこの七夕で大切にしたいことを考えた時、織姫と彦星の物語や、笹に願いを飾る文化とか由来を子どもたちに理解してもらうことではなく、「自然と繋がること、目に見えない何かに想いを馳せるということ」だと思った。
1-2歳児クラスでは、Iちゃん、Yくん、Nくんが、硯で墨をすると、顔や腕、足など身体に塗ることに夢中になっていて、筆で紙に書くという概念は彼らになく、「ぬるぬる」感触を味わっている。「くろくなったー」と自分の身体の変化をみつめていた。
それを見ていたら、こういう感覚が開かれている状態でいるということが、神聖だなという感じがしたんですよね。自然と近い状態でいる、というのか。
そして、この人たちがいまこうして幸せにいること、そのものが祈りであり、自然とつながるということだと感じてきて。やまのこの保育目標「今を幸福に生きる」と「地球に生きているという感受性」の両方が繋がったような気がしました。
朋子:2019年に七夕の由来から、葉っぱの上の夜露を集め→それで墨を作り→その墨で描くことを祈りとしてやろう、となったとき、私も自然とつながることや祈りについて考えていて。当時は言語化できなかったけれど、今の話から「地球に生きているという感受性」と七夕について考えたら面白いなと。
「地球に生きているという感受性」って、「自分が生物・植物・地球などと繋がっている感覚があって、自分も自然の一部だという感覚がある状態」というイメージ、「自然と交信している」というイメージが私にはある。
七夕で使った雨水や墨、和紙は全部自然素材で、夜露を集めるときの水滴一滴に気づく感覚とか、墨の濃淡や和紙へのにじみ具合に気づく感度、細かく小さなものをよく見てその変化に気づく感度って、まさに身体が自然物と何らか交信している状態なんじゃないかな。墨を身体中にぬる時も、触れて&触れられてという双方向の感覚が同時に起こって、子どもたちはきっと自分自身の身体と交信していたと思うし、七夕で起きていた様々な「自然と交信している状態」は、「地球に生きているという感受性」とつながっているなと。
優樹:僕は3-5歳児との七夕で、雨粒を集めることを通して「地球に生きているという感受性」を深められた気がしていて。本当は水だけじゃなく、墨と焚き火で作った木炭を比べてみるとか、墨の探求も深めたかった。自然物や物質の探求は、地球を探求することだと思うから。
雨水の水滴を通して子どもたちが感じていた、1滴に対する観点や感度。子どもたちは物質の希少さ、有限さを感じているようだった。
こうやって自然物・物質をよく観察して、そこで子どもたちがどう感じるかを丁寧に見ていくことは、地球を探求することで、そうやって、地球に生きている感受性が育まれていくのかなと。
七夕という一つの季節行事が、どのように保育目標とつながっているか。複数の視点を振り返りで交換することは、やまのこの保育を育てていくことであると強く感じた実りある対話でした。