やまのこ保育園

惑星のようす

"目の前の「その人」に出会うこと"

2020.07.21
目の前の「その人」に出会うこと

Text:Riho Yamazaki

やまのこは、5つのクラスでできています。私自身の子ども時代をふりかえると、環境にはいつも「クラス」の存在がありました。自分のクラスの教室にいると少し安心感があり、他のクラスに行く時は少し緊張しました。そんな記憶があります。クラスは安心感をもたらしてくれる存在です。小さな人たちにとって保育園が安心できる場所であるということは何よりも大切であると考え、クラスを安心できる場所にしようと努力してきました。一方で、安心づくりと同時にクラスの間に見えない壁ができあがっていたことに昨年私は気づくことになりました。

それは、昨年10月に行った交換留学がきっかけでした。今年4月に開校した、長野県軽井沢町にある「風越学園」へ2週間、私は留学することになりました。交換留学とは、それぞれの園が持つ文化を固定化せず活性化していくために、保育者が他園の現場に入り、互いに学び合う機会を持つことを目的としています。自分の園と違うフィールドを体験することで、子どもたちとの関わりや保育感の深め方など、保育をより良いものにするための肥しとなるようにとスタートしたものです。

私は「風越学園」の開校前まで開かれていた「かぜあそび」の保育現場に2週間ほど入らせていただきました。かぜあそびには、”クラス”はなく、2-6歳23名の子どもたちが1つのコミュニティの中で一緒に遊んでいます。

子どもたちが紹介したいことを朝のつどいの時間に話していた時のことです。Yくんという2歳の子が話していると、4歳の人たちの言い合いが始まりました。「なんだか聞いていない人がいるみたいだね」とスタッフが、Yくんに伝えると、Yくんは言いました。「ねえ!僕が話してるんですけど!!」その言葉に、言い合いをしていた4歳の人たちは一瞬目を丸くして、「ああ、うん。どうぞ」と返し、Yくんの話を聞く体制に向き直ったのです。

この交換留学中、かぜあそびスタッフの子どもたちへの関わりや投げかけ、スタッフ間の話し合いなど考えさせられる部分はたくさんありましたが、子どもたちがつくるコミュニティの在り方が何よりも印象的でした。Yくんの姿を見た時、私は今まで信じて構築してきたものを崩されたような感覚を受けたのです。

やまのこでも自分の思いを伝え、相手の言葉に耳を傾ける姿は、クラスの中では築かれつつあります。しかし、クラスというものや年齢が隔たりをうむことがあるように感じました。「〇〇組はだめ!◯歳はだめ!」という言葉が話されることがありました。クラスや年齢というものが先に来て、目の前の「その人」と出会えていないのかもしれない。

 

私は交換留学を終えてから、やまのこの根っこの部分を考え直す必要があるのではと、チームメンバーに投げかけました。受け止め方はそれぞれでしたが、みんなの中に違和感のような靄はかかったのではないかと想像しています。そして、この靄が一気に晴れて動き始めたのが、5月20日に行われた運営会議でした。コロナウイルスの警戒レベルが下がり、これからの体制について話すことになっていたその日「この先どうしていく?」「大切にしていきたいものって何だっけ?」そんな、やまのこの根幹を見直そうとする思いがそれぞれのスタッフから自然と湧いてきました。

コロナウイルスの影響を受けて、0-5歳の10数名ほどの子どもたちだけで過ごした2ヶ月間は、開園してから大きく太くなり続けていたやまのこが一変して、とても小さなコミュニティとなりました。この2ヶ月間、毎日一緒に過ごしていた人たちと次第に会えなくなりました。登園していた人たちは、いつもと同じ保育園にきているけれど、「いつもとは違う」気持ちを抱えながら登園してきたことでしょう。非日常が日常になる中で小さなやまのこは、朝あけび組の部屋でみんなで集い、みんなで一緒にお散歩に出かけて行っていました。そんな日々を過ごしていくうちに、ふつふつと変化が起こり始めました。今まで自分の遊びに夢中だった人が、朝のこごみ組うるい組のおやつを手伝ってくれる姿、あけび組の背中を見ながらいつもより遠い公園までお散歩に出かけていくこごみ・うるい組の人、あけび組というたくさんの言語が飛び交う環境の中で一気に言語を吸収した人もいました。そして、その頃から「〇〇組はだめ!◯歳はだめ!」という言葉がまるで聞こえなくなりました。小さなコミュニティの中でお互いに支え合い、影響し合う姿が少しずつ見られ、ゆったりと大きな変化をもたらしてきていました。この2ヶ月間体感してきたものが前回の運営会議の際に溢れ出し、まぜこぜグループの試行へとつながっていきました。

全体で混ざり合うためにどのように進めていくのか話し合い、以下の2つを6月から試行しています。

 
1.食事をみんなで一緒に食べること

現在、それぞれ食べ始める時間は違いますが、あけび組の部屋でみんな一緒に食べています。始めは同じ空間にいるけれど混ざり合いは見られず、大人も動きに慣れずバタバタしており、何でこれを試行しているんだっけ?と思うこともあるような先の見えない時期もありました。1ヶ月ほど経ち、子どもたちも流れができてきており、好きな場所で兄弟のいる人たちは兄弟隣同士で食べることを楽しむ人たちも出てきています。

2.子どもたちを2グループに分けてクラス・年齢を超えた安心できる場所を作ること

これが、現在試行している「まぜこぜ」グループです。
まぜこぜグループの名前は「メダカ」と「ツバメ」です。
顔合わせのつどいから始まり、今は一緒にお散歩に出かけています。同じ空間にいるけれど、それぞれ気の合う人たちと遊ぶ姿が見られ、クラスをこえた関わりがそれぞれのチームで課題となりました。

 

まぜこぜグループ4回目を終えると、やっと見えてきたものがありました。
それは、お互いのチームでケアする・ケアされるという関係や、大きい人たちと小さい人たちの遊びが影響しあい、子どもたちの中で遊びが展開していくこと。そして、大きい人たちから小さい人たちへの言葉や行動の連鎖などが生まれてきています。まぜこぜの時間以外にもクラスをこえた関わりが増えてきたように感じています。この先、どのようにまぜこぜグループが展開していくのかは、まだ私たちにも見えていません。保育園が安心できる場所であることは、もちろんこれからも目指し続けます。クラスという同年代の人たちと思い切り遊びを深めていく協働していく時間も大切にしていきます。その上で、「クラス」「ケアする・される」「大きい人・小さい人」という概念を超えて子どもたちが目の前の「その人」と出会うこと、認め合い関わり合えるコミュニティに育つことを願い、模索していきたいと思います。地球に生きる感受性を持った人として、多様なコミュニティの中で多様な人たちと関われるような土台を構築していきたいと考えています。

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