やまのこ保育園

惑星のようす

"祈りの七夕プロジェクト2019 − 七夕は終わらない"

2019.10.09
祈りの七夕プロジェクト2019 − 七夕は終わらない

Text:Tomoko Nagao

今年の七夕が始まるまで
6月下旬、「今年の七夕どうする?」という話が行き交い始めました。「この行事はこの形で」という定型を持たないことは、やまのこの特徴のひとつかもしれません。過去を参照しつつ、常に、今のメンバーで、今共に生きる子どもたちとの営みを考えながら、形を創ろうとする。「去年は笹を玄関に置いて、短冊を子どもたちと和紙染めで作って、保護者に願い事を書いてもらったね」と振り返りつつ、「そもそも七夕ってなんだろう?」から今年の七夕は始まりました。
七夕は節句でもあり、古来から神聖な植物とされる竹を用いて、天と交信する営みであるとのこと。「昔はサトイモの葉にのった夜露を集め、それで墨をすって、詩歌をかいた」という紹介にも出会いました。単に願い事をする行事ではなく、自然界(竹や夜露)との接面を通して、全ての経験が天との交信(=祈り)になるような七夕になれば、保育目標「地球に生きているという感受性」にも繋がると考えました。運営会議での共有・相談の後、今年の七夕は、山から切り出した竹を飾り→葉っぱから夜露を集め→夜露で墨をすり→墨で描き→その紙で飾りをつくる、という流れに決まりました。全てのプロセスを天との交信=祈りの行為としてやってみようと。

七夕の経験
いつもご協力いただいている農家のSさんのご協力を得て、Sさんが山から竹を切り出して運んできてくれました。玄関に広がる竹の香り!子どもたちは水集めを始めます。葉っぱの夜露を少し。夜露の他にも天からの水である雨水を。水が集まったら、次は墨すり。集めた水を硯にぽとりと落とし、体重を手に乗せて懸命に擦ります。「においするね」「(黒の)えのぐみたい!」とわらび組の2-3歳の子どもたち。
難しかったのは「祈り」を子どもにどう伝えるかです。私は子どもたちに「お正月に神社に行ったことある?」と尋ね、手を合わせ目を閉じて拝むジェスチャーをしながら「こうやって手を合わせてしたの、お祈りっていうの。神様とかお空にお祈りする。七夕もお星さまやお空のこと想うお祈りでと伝えました。が、全くイケテナイ説明だったと凹む想いでした。あけび組ではAさんが、祈りとは「今、会えなかったり、話すことができない相手のことを考えたり、想うこと。いただきますというのも食べ物に対して祈ることだ」と伝えたようです。なるほどー、と思いました。

 

 

描く行為は、大きな紙にのびやかに行われました。最初は筆で。次第に手で描き始め、徐々にボディペインティングに移行していきます。Dちゃんは片手に持った筆で、もう片方の手に墨を塗りつけ、手が真っ黒に。うわぁと言いながら足の甲にも塗り始め、それをまた眺めてうわぁと言い、塗りたくる。そんな充実している姿を見ていると、突然、「ほら、あしがよるになった」「ほらまっくら。たいようしずんじゃったんだよ」と静かに伝えにきました。

 

 

夜、闇、太陽。墨の黒さに反応して、小さな足の上に、宇宙が生まれました。自分の身体に塗るという行為は、塗っている感覚と、塗られている感覚の両方が同時に起こるので、Dちゃんの中で身体的なコミュニケーション・自己との対話(交信)が成立したのかもしれません。塗るという行為を通して、何か交信が起こり、祈りの行為がDちゃんの足で起きたのかなと思いました。雨水から作った墨が、闇や夜という自然の要素に繋がる力になったのか、ただの偶然だったのかはわかりません。でも、これこそが天との交信=祈りの行為なのかもしれない、と思わせるものがそこにあったこと、そして、祈りは説明できるものではなく、結果としての経験そのものだったと感じました。

 

その後、予定では、描いた大きな紙をいくつかのピースに切り、子どもたちと飾りをつくって笹に飾る予定でしたが、なかなかに眺めがいのあるものが出来たので、homeではしばらくエントランスに大きい紙のまま飾っておきました。yamanokoでも墨画がまるで星空のよう!とのことで、竹の香りが充ちた風除室の天井と壁に大きい紙のまま展示し、空間全体で七夕を感じるインスタレーション作品のようになっていました。
そして七夕前日。やはり少しは笹に飾りを、と、子どもたちと紙を切って飾りをつくりました。七夕の歌に「五色の短冊♪」とありますが、やまのこの七夕は二色(白黒)の飾り。それでも全てのプロセスを考えると、彩豊かに感じられました。

七夕の終わり方をめぐって
7月7日が過ぎて数日。あけび組に焚き火をしてもらって、両園分の笹を子どもたちと一緒に園庭で燃やしてはどうかと、スタッフメールで提案しました。すると「焼却後は竹炭として畑に撒くことができますよ」とSさん。「竹箒つくれるから」とHさん。ポンポンとアイディアが交わされ、七夕の竹は、竹箒になることになりました。その他、残った竹は、畑のキュウリやトマトの支柱になるとのこと。燃やすことなく、園の道具として脈々と生き残る七夕の竹。七夕は終わることなく暮らしの中に編み込まれることになりました。

 

七夕をふりかえって
一連の七夕の営み。このようにチーム全体でアイディアを交わしながら一緒に暮らしをクリエイションしていくことが、ここで暮らす喜びだと思われます。

今回大きな収穫だったのは、yamanokoとhomeの2園でそれぞれ同時展開したため、相互に「こうだったよ」「こうしたけどイマイチだった」と進捗や、やってみた感触、子どもたちの反応、伝え方などをシェアしながら七夕を創っていけたこと。リアルタイムでフィードバックを交わし、学びあいながら、それぞれの園でクリエイションを進めていく。2園あることが七夕の面白さ、保育の面白さを増幅させるつくり方が出来たことは収穫だったと思います。
また、もう一つの収穫として、「イーゼルの絵の具だけじゃなくて、子どもたちが擦った墨で描くのもいいね」とか、「(仏壇などがない家が増えて)祈りという行為が日常生活から減ってきているのかなあ、園庭の一角など、どこかにspiritual spaceを作ったらどうかなあ?」と、次なる保育の環境づくりに繋がるアイディアが浮かんできたことも収穫でした。
七夕と直接繋がってはいませんが、あけび組はお盆にナスときゅうりで牛や馬をつくって精霊の話をしたそうです。またyamanokoの園庭には最近、死んでしまった虫たちを弔う「お墓スペース」が作られたとのこと。Hさんが作った祈りがこもった竹箒もそうですが、祈りという、自分が住む大きな生態系に想いを馳せる営みが、日常的に子どもたちの傍にある暮らしの場をつくっていきたいと感じた「祈りの七夕プロジェクト」でした。
「祈りがこもった竹箒、魔女のように飛べそうな気がしますね」(綾さん)

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